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投稿者 3104 さん [ 東北 ] | 2007年04月16日(月) 22時45分 |
初めて投稿します。 自分は×1です。現在今の女房との間に子供が2人います。11歳と7歳の女の子です。 文章は苦手なので読みにくいかもしれませんが、愚痴だと思って読んでください。
再婚してから12年目になります。同居してからは7年目になります。今現在自分は自分を殺しながら生きています。朝は洗濯、風呂掃除、部屋掃除、夜は夕食作り、次の日の米の準備、食器洗い、その他掃除洗濯、子供の勉強の立会い、その他もろもろ、何でもやります。今の夫だからと言われればそうかもしれませんが、妻が2階にいて横になってごろごろしていて、その間に夕食の準備、2階に向かって階段から『ご飯できたよー」と呼ぶのはいつも俺か、母親。 自分のキッチンは対面キッチンです。毎日夕食の下ごしらえ等は母親がやってくれています。(俺が毎日頼んでいるのですが)毎日毎日母親が料理をしてくれて、その夕食後の片付けのときに、嫁がたまたま食器洗いをしている時に、母親が目の前に座っている状況を見るのが嫌だと言います。せめて洗い終わった食器を拭いてくれたらいいのにと、だんだん顔がブスーッとしてきます。食事なんか何にも作らないで、俺か母親が作っているのに、いつもこの状況になります。それからたまに台所に立つとウワー汚ーいとか直接的と思うくらい、俺の耳元や母親に聞こえるように言います。 日ごろ何もしない人がそんな言葉を言えますか? この前母親の涙を久しぶりに見ました。俺は決してマザコンなんかではありません。今までも嫁が間違っている事でも守ってきました。しかし、もうどうしようもないような口の利き方、話しかけても返事もしない態度、たまに返事が帰ってきたら回りくどい返事。自分が聞いていても嫌になります。(お前は2度目の結婚だから嫁に気を使って我慢しているのを見ているのがつらい)と言われました。やはり親は見ているのですね。心を見透かされたような気がしました。
遅れましたが嫁はパートで4時までの勤務です。朝は9時までです。自分の勤務は5時30分までです。どう考えても俺が料理を作る状況ではないはずですよね。手伝いじゃないんです。俺が殆ど毎日夕食をつっくっているんですよ。嫁は朝食なんかは、前の晩の食事をあっためて出すだけです。あれが欲しい、これが食べたい、何処に行きたい。もうたくさんです。
この書き込みを見た人は、お嫁さんにも悩みがあったり、何か原因があるんじゃないの?とか思うかもしれません。俺から見れば、ただの道楽ものです。子供の為に、子供は本当にかわいいから離婚は今は考えないようにしていますが、あんな人間は死ねばいいのにと本当に思ってしまいます。
何か書きたい事が山ほどありすぎて、とりとめのない文章になってしまいました。今後も自分を殺して生きていきます。そう心に決めました。しかし、子供が嫁いでいずれ両親もいなくなるでしょう。そうなった時には解りません。
▼ 投稿者 がっくん さん [ 東北 ] | 2007年04月16日(月) 23時00分 |
3104さんは何か奥さんに後ろめたい事があるの? ×1な事?何か夫婦ってそうじゃないんじゃないの? 初めが肝心じゃないけど3104さん次第だったんじゃないかな〜 愚痴として聞く事しか出来ないけど生活を変えたいなら、 変える努力をしてみないと! お母さんだってもう良いお歳じゃないの? 奥さんがそんな調子でいたら将来、お母さんの介護とかどうなるの? 変えるのも3104さん次第なんだよ! ここで愚痴ってるなら頑張ってみたほうがいいよ!
▼ 投稿者 Z さん | 2007年04月17日(火) 19時58分 |
3104さんが「俺がどんなに大変な気持ちで家事をしているか考えてみてくれ」という考えで(決して罰とや懲らしめとかでは無く)1度奥さんの食事を作らないでみては。本当は家事を1,2日止めてもいいけれどお子さんがかわいそうだからね。それを機会に家事や家庭の生活について話し合いをしてみてはどうでしょうか。夕食終わって翌日の米研ぎ、労力はそんなに大きくないけれど結構精神的な負担ってありますよね。グチるのも精神衛生上良いことですよ。溜め込まないで吐き出さないと心に良くないですから。
▼ 投稿者 マー君 さん [ 近畿E-mail ] | 2007年05月19日(土) 11時08分 |
自分の今の幸運を、 当たり前と思った時に、 不運は始まる。
自分と付き合ってくれている人が、心優しい。 そのことを当たり前と思った時に、 不幸は始まる。
気がついた時には、 酷い人に囲まれている。
自分のことを良くしてくれる人がいる。 それでずにのった時に、 地獄の入り口にきている。
一度去ったその人は、もう戻らない。 なぜなら、 その人は、さる前に、できる事を精一杯しているから。
カレン・ホルナイは名声追求の強迫性について特徴のとして「満足しない、際限がない」と言う事をあげいいる。 つまり100点を目標にする神経症者は100点とれても120点が欲しくなる。いつも「もっともっと」と急き立てられる。とにかく際限がない。 カレン・ホルナイはもうひとつ神経症的傾向の強い人は「見境がないこと」と言う事もあげている。つまり「何をしても」もっともっと言う事である。すき焼きをこれだけ食べたで満足しない。もっと食べたい。 そのうえに「給料この位もらった」で満足しない。「いや、もっと欲しい」。「常に」「何についても」「もっともっと」である。 そこで「あなたはどの位欲しいんですか」と聞かれれば分からない。何だかわからないけれども「何でも」「もっともっと」欲しい。 これでは生きていて苦しい。欲しいものに領域も限界もないのだから。そこで常に心が満ち足りていない。いつも何についても不満。 皆が「あなたいい生活してるわね」と言っても絶対に満足しない。そしてもう何をするにも不安、この私がやる事は全部自信がない。
運動になると跳び箱を九段を超えたらきっと幸せになれると思っている。でも九段を超えたら今度は十段を跳べないんだから不満になる。そして不満は跳び箱だけではなく、他の事についても同じ事で、いつも何事も不満。何をしても幸せになれない。 私は跳び箱10段を跳べなければ絶対に幸せにならないと思っている。毎日がこれでも駄目だ、あれでも駄目だ、とイライラしている。今日も10段を跳べなかった。 そして他の事も全て跳び箱10段の考え方になる。だから生きる事が辛い。就職の時には大蔵省に受からなければ幸せになれないと思う。絶対に大蔵省に行かなければ私の人生はもう駄目と思う。行けなければ自分の今まで生きてきた事が全部無意味になると感じている。 心理的に健康な人は「跳び箱10段がそんなに大事なの?でも私は10段跳べないから、私は縄跳びをやってみる。縄跳び1000回出来るわよ。」って人である。自分の出来る範囲で自分の力を出す人、それが心理的に健康な人である。 心理的に健康な人は水泳をしても満足している。それで「ええ、プール?そんな事は世間では認めないわよ。」って言われても、心理的に健康な人は平気。心理的に健康な人は今まで生きてきた人生を自分が認めている。どんな人生でも自分が満足している。 もっと頂戴っと思っている人は自分自身の世界観を変えなければもっともっと自分の首をしめてしまう。 大事な事は今自分がこれでも自分は幸せなのかなと思うかどうかである。今この幸せの平凡な毎日が自分自身の力であって、今までの生きてきた証だと思うこと。この人生が最後に幸せにつながっている道だと信じる事である。 そうすればメンドリを殺さない。
心の空洞が埋らない。 そこで名誉がほしい。 空洞が大きければ大きいほど、 大きな名誉がほしい。 同じ名誉を得ても、生きる支えのない人は、 もっと、もっと名誉が必要になる。
同じ名誉でも、生きる支えとして名誉をほしい人と、 すでに生きる支えがある人が、名誉を求めるのとは
▼ 投稿者 Z さん | 2007年05月19日(土) 12時20分 |
↑ 投稿の趣旨は分からない。諾否の意見が分かれるところだが、好こうと嫌おうと世の中は成果主義。これを是とするも非とするも個人の勝手だがそういう流れ。その流れに乗れば現状満足は相対的な後退では?「後退でも幸せとと感じなさい」というメッセージは読み取れません。結局現状満足が身の程をわきまえた人間のする事だ、というのが結論ですか?
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