トップページ−離婚を10倍有利にする情報サイト/離婚相談の掲示板あり−無料
投稿者 ぱせりあ さん [ 近畿 ] | 2008年08月16日(土) 12時44分 |
ここでしばし 心の内を吐き出させて下さいね。 私達は結婚20年以上経過した夫婦です。 夫は 一見大人しく真面目で子供や家庭を大切に出来る人。 しかしその反面 とても冷酷で思いやりに欠けるところも多々あります。
親兄弟など血のつながりのある身内と呼べる人意外とは意思の疎通があまり上手に 出来ません。 実際 夫には親しい友人も同僚もなく心を割って話せるのは家族と呼べる人だけ。 人間的には決して悪くないのでしょが 言葉足らずな上にコミュニケーションを取るのが下手で 人の気持ちが中々読めないようです。 そして何故か 上手く言葉のキャッチボールができないのです。 いつも一方通行。 なので会社でも誤解が誤解を生んでか 複数の同僚にも敬遠されている様です。 けど彼には原因が全く分からないようです。 一方的に同僚を変人扱いしてるだけ。
私も最初は なんて大人げない事をする同僚達だろうと疎ましく思っていましたが 今日までの夫の行動や言動を見てるとそういう処置を取られても 致し方ないのかなと思ってしまいます。 孤立してしまった夫を支えてあげるのが家族の勤めだと思ってやってきました。 でも今にして思えば 人から敬遠されつまはじきにされても致し方ないところがあるのは否定できません。 それに本人が気づかない限り彼はずっと孤独を噛み締めることになるでしょう。 彼は真実から目を背けてしまうタイプの人みたいです。 原因がそこにあるだろうとわかっていても自らは問い詰めようとしない。 流れを変えようと努力もしない。 いつも受身で他力本願なんですね。
これまでの夫との生活、彼の性格や言動をみてきて私もこのままいくと 良い方向に進むことはないだろうなと夫婦の危機感を感じ始めています。 私は3年前に ガンを患いました。 その時は夫も(たぶん)心底心配し悩み苦しんだだとと思います。 しかし年月の経過とともにその危機感も薄れ まるで何事もなかったような振る舞いをします。
不幸にも私は昨年再発をして今年に入り長い治療を経験しました。 副作用で骨髄抑制と免疫力低下が続き ヘルペスを発症したり白血球が百台に落ちたり 色んなアクシデントがありました。 感染症が命取りになると話しても聞き流している様子。 そんな中、発熱しても隣で平気な顔で寝ています。 病院へ行っても『どうだった?』と問いかけもせず全くの無関心。 そのくせ自分の母親が具合が悪いと電話で必要以上に気遣ってます。 私の病気の事は無関心で本屋ネットでの検索さえしないのに 実家に穴熊が出没したと聞いただけで必死にPCで駆除の検索をしていました。
一番側にいて一緒に病気と向き合っていて欲しい人がそんな感じなので 私ももうなす術もなく 諦めています。 彼の家系はガン家系で お義父さん、妹、叔父さん、叔母さん、従兄弟までガンに罹り 5人中3名が亡くなっています。 しかも 従兄弟は私と同じ病気で亡くなっています。
また 義弟のお嫁さんも5年前にガンで亡くなっていて 長い苦しい闘病生活を 実際目の辺りにして 義弟の苦しみも十分に見てきたはずなのに・・・ 私に対しては何の危機感も持ってないようです。 口では 『どんだけ心配してきたか・・』といいますがまるで私には空耳にしか聞こえません。
結局 命に関わる病気をしていてもそこまで無関心でいられるというのは 思いやりがないという以前に もう愛情がないのだと思います。 そして私も改めて気づくと 彼に対しての愛はどこにもみつからなくなりました。 1ヶ月前から 寝室も別にして私はひとりで別室で寝ています。 何故 私がそうしたかを彼はまだ気づいてない。 免疫が落ちたから自分で用心して閉じこもってるくらいにしか考えてないのでしょう。 彼にとって私の事はすべて 他人事なのです。
また亡くなった義弟のお嫁さんが言っていたのですが・・・ 私のいないところで 私の悪口を兄妹と言い合ってたそうです。 その時点から 私達夫婦は気持ちの上ではすでに破綻していたのかも知れません。
今回のお盆の帰省で彼の実家で過ごした3日間もいつもと変わりないお盆でした。 皆は冷房の聞いた部屋で涼しく過ごしていて私だけは冷房も何もない台所で 三度三度の食事作りをひとりでしていました。 田舎の長男の嫁だからやって当然の世界なんでしょう。 男尊女卑が未だに根強くはびこっているところですから。 誰一人 私の身体を労わるもの、気遣う人はおりません。 私も健康体なら 何も思わないでしょうけど治療が終ったばかりの弱った身体に 思いやりの欠片もない人達の為に ムチ打って頑張っている事が なんの価値もないバカゲタ事に思えて情けなくなりました。
お盆といえばお墓参り・・・ 彼の実家の墓参りをしながら 私自身そう遠くないかもしれない未来にここに埋葬されるのは 絶対御免だと思いました。
しかし現実問題 この状態で彼と別れても私は次の日の生活から困ってしまいます。 ガンを患った身では新しく保険にも加入できません。 またいつ身体の中で悪魔が悪さをするかわからない病気。 身動きのとれない苦しさ 悲しさに満ちています。
それでも患者会でであった人や入院中に仲良くなった仲間達と交流を深め 励ましあい支えあっています。 その事も 友達のいない彼には面白くないようです。 私はお陰様で友達や仲間が多くいつも誰かが気にかけて声掛けしてくれます。 それがあるので辛うじて気持ちが落ち込まずに踏ん張れている様なもの。
紙切れ上の夫婦であっても心は他人。 こんな状態で どこまで家庭内別居を続けていけるものなのか。 病気の事でアタマがいっぱいいっぱいなのに 他のストレスは背負いたくないと思っても 知らぬ間に背負っていたりして息苦しさを感じています。
でも娘達にとっては良き父親の様で信頼を寄せています。 血を分けた身内には優しく出来る様です。 私も彼女達の為にも きちんと独立するまでなんとか頑張りたいと思っていますが・・ それまで身が持つかどうか・・・ 病気が病気だけに不安材料がいっぱいです。 でも それでもなんとか今日も頑張って生きなければと思いながら日々を過ごしています。
世の中 上手くいかないご夫婦は大勢いらっしゃるでしょう。 悩みも千差万別、 私の悩みなんてちっぽけなものかも知れません。 でも 死と向き合いながらのこの生活は私には拷問とも感じる時があります。
思いのまま書き綴りましたので言葉足らずや自己中心的な書き方になっていて お叱りを受けるかも知れませんが・・・ 気持ち的には少しすっきりしました。
最後まで聞いてくださって有難うございました。
▼ 投稿者 ふく さん [ 中国 ] | 2008年08月18日(月) 01時02分 |
私の父の話を聞いているかと思うくらい、そっくりです。 母も昨年悪性リンパ腫にかかり、苦しみました。 父は、ぱせりあさんのご主人と同じく、入院中引きこもり、飲んだくれて 会社も無断欠勤という有様。 当然母の見舞いには一度も行かず、母の病状を聞いても何もしなっかたです。 現実逃避ばかりでした。 でも、自分の困ったときだけ母に電話し、病人相手に何時間もしゃべったり・・・
母の状態が悪化したとき、父と同じ墓に入りたいか確認しました。 答えは『絶対イヤ』 でも離婚はしないと言い続け、結局籍が抜けないまま3月に亡くなりました。 母の実家に協力を求め、何とか墓を別に出来ましたが・・・ お寺も変えたためかなり面倒でした。
母は、もっと早くに離婚しておけばよかったと後悔していたと思います。 亡くなる数週間前になってから、夫面して病院にいる父を鬱陶しく思ってました。 病院にいても、何をするわけでもなく、座っているだけでしたから・・・
その父も3年前食道ガンの手術をしましたが、母の忌み明け辺りに再発。 もう手がつけられない状態で、先日亡くなりました。 最後は母と違い、誰も間に合わなく、看護師さんに看取られました。
自分が人にした仕打ちは、必ず自分に返ってくる・・・ 父を見ていてそう思いました。 ぱせりあさんのお話が、父の行動とリンクする部分が多かったので・・・ ついレスしてしまいました。
私の話で不安にさせてしまったらごめんなさい。 どうかお体も心も大切に・・・
▼ 投稿者 ぱせりあ さん [ 近畿 ] | 2008年08月18日(月) 16時13分 |
ふくさん ご丁寧なレスを有難うございました。 ご両親の事ではふくさんも心痛める辛い思いをされたのですね。 私自身も娘達には出来るだけ気持ちの負担を掛けないようにしないと・・と思いつつ 実際は自分の事で精一杯になっています。 お母様もきっとそういうお気持ちもどこかにおありだったのではないでしょうか。 気力 体力 精神力、病気は色んなものを奪い取ってしまいます。
ふくさんの投稿を拝見してまず最初に驚いたのはお母様が私と同じ病気という事です。 リンパ腫は最近増加傾向にあるようですね。 この病気は本当に複雑怪奇な特性をもっていて 1回の治療で完治してしまう場合と あれよあれよと言う間に亡くなる場合と 再発を繰り返し生涯共存するしか道がない場合とタイプが色々。 私のタイプは 現代医学では完治は望めない型です。 再発したら抗がん剤で治療するという命がけのもぐら叩きの様な感じです。 それでも3年間なんとか酷くならずにここまで来れましたが 先の事はわかりません。
うちの主人は 発病した当初は会社を休んで病院にも付き添い説明を聞き 入院中は会社の帰りには必ず立ち寄ってくれたりしたし家事もやってくれてました。 実際良くやってくれたと今も感謝しています。 しかし時間の経過と共に危機感がなくなりまるで病気など治った様に思ってるみたいです。 彼にはあの1ヶ月が期間限定の私に対する唯一のご奉仕月間だったのでしょうね。 それと世間体や人の目をすごく気にする人ですから義務みたいな感じだったのかも知れません。
同じ病気仲間のご主人をみていてもどこも二人三脚というか結束して一緒に戦っておられます。 でも我が家はバラバラ・・・ 同じレールの上を走っているのかさえ分からない時があります。 色んな話をしても言葉のキャッチボールがうまく出来ないので通じ合えません。 ちゃんと向き合っての会話がないので何も分かり合えません。
そしてお金のことに対してもすごく細かいのが私の神経を逆撫でしています。 抗がん剤の治療費は莫大で家計の大きなの負担になります。 それでも治療しないと死を待つだけ。 けれど彼にはそのお金が惜しい様です。 露骨に言葉で言われたわけではないですが抗がん剤の話になると 『高い』『もったいない』という言葉が口から出てきます。 私が気持ち良く治療が受けられる様は一度も聞いた事もありません。 私の命よりお金が大事なのか?!と 問いただす元気もなくだまっていますが・・ 病気をすると どこか意固地になり・・ 何気ない言葉尻ひとつでも悪いほうへ取ってしまったりついついしてしまう私も いけないのでしょうけど・・・ 夫の発する言葉ひと言ひと言に傷ついていきました。
ふくさんのお父様にしてもうちの主人にしても 心の内はわかりませんが 相手に対する表現や下手で 接する時の心配りが出来ない不器用な人間なのかも知れません。 けれど 片方が生死を左右する病気を患ったり大変な時にこそ支い守り抜くのが夫婦というもの。 苦手とか下手とかいう事だけで片付けられる次元ではもやはないでしょう。 お父様の場合は 不幸にもご自分も病に倒れられたという事。 苦しい思いをされて過ごされた年月に少しはお母様の苦しみも感じられたのではないでしょうか? 誰にも看取られず亡くなられたというのは本当に寂しい事ですね。 人は生まれる時も亡くなる時もひとりです。 でもその瞬間に 側には誕生を喜んでくれる人、 死を悲しんでくれる人がいてくれるのものですからね。
人は悲しい生き物で 自分がその立場に立たないと気づかない事が多いですね。 夫もいつかは気づいてくれるのでしょうか。 でも生きてるときにこそ 優しい言葉や思いやりは価値があると思うのです。 この世の人でなくなってから色々思われても私は嬉しくないです。
またまたとりとめもない事を書いてしまいましたが・・ もし何かお気に障った事を書いてしまってたらどうぞお許し下さいね。 決して悪意はありません。 私はお話を聞いていただけただけでも 気持ちが楽になりました。 これからも病気と向き合いながら前向きに頑張っていきます。
ふくさん、色々ありがとうございました。 残暑厳しい折 お身体ご自愛下さいね。(~_~)
▼ 投稿者 みり さん | 2008年08月19日(火) 10時05分 |
ぱせりあさんのお話を読んで、夫婦って本当に難しいものだなぁと思いました。 ぱせりあさんの仰っていること、その通りだと思います。病気はどんな病気であっても、心に大きなストレスがかかります。そんな闘病生活を乗り越えて、よく頑張ってこられましたね。それから私も長男の妻なので、お盆の帰省の件などは身につまされます。
でも私には、ご主人の気持ちも少しはわかるような気がします。たぶんご主人は、ぱせりあさんも感じているように、言葉足らずな方なのだと思います。男の人はそんなタイプが多いですよね。ぱせりあさんが病気になられたとき、ご主人は心底心配したと思いますよ。でも、私の周りにもいますが、妻が退院してくるともう元通りの妻だと思うらしく、退院したその日から食事の支度を要求したというのです。もちろん、その奥さんも怒りと言うよりあきれてしまったと言ってました。
ぱせりあさんは、おそらくとてもしっかりした方だと思います。なのでご主人は奥さんに任せておけばなんとかなる、奥さんがそんな病気でダメになるわけない、と思っているのではないかと思います。 ご主人が理解を示さないと嘆く前に、理解させる努力をしてみたらどうでしょう。だれかご主人に意見できる人、たとえば娘さんたちから、お母さんの病気はこうなのだから、気遣ってあげて欲しいというようなアドバイスをしてもらうなど、ご主人が、鈍感で気づかないということもありますので、気付かせる努力をしてからでも遅くないと思います。
それにしても、長男の妻…このひびきに見え隠れする重圧、何年たっても慣れることができません。ぱせりあさん、どうかご自愛ください。
▼ 投稿者 ふく さん [ 中国 ] | 2008年08月19日(火) 20時22分 |
ぱせりあさん、こんばんは。 何も失礼なことなんてないですよ。。。
私の投稿も後で読み返したら言葉足らずで・・・ 失礼だなって思ってました^_^;
私は母の病気がどう進行するか分からないって知ったとき、 1日でも長く・・・と願ってました。 抗がん治療も・・・ 病人に頑張れって言えないですけど、心から願ってました。 でも、母はずっと私を気遣ってくれてました。 二人目を帝王切開で出産した後すぐの入院でしたから。
毎日、生まれたての子を連れて病院へ行きました。 孫の顔は何よりの薬と思って・・・ そんな私を見てても、母の病気を受け入れられない父を なんて情けないと・・・
ぱせりあさんの旦那さんは、お見舞いもし、家事もされてたんですよね? そこだけ、全然違います^_^; 一緒だなんて言ってしまってごめんなさい。 例え義務でもして欲しかったから・・・
娘さんたちは、病気のことをどう思っていらっしゃるんでしょうね。 私自身、母の顔を見るたび、いつかはいなくなってしまう恐怖、 その後の生活や父がどうなってしまうのかとか、色々考えてました。 病気のことを理解し、見舞う事で、いろんな覚悟が出来たと思ってます。
確かに1年、2年と間があけば、病気自体を忘れてしまうかもしれませんが・・・ 母が感じてたであろう気持ちを、ぱせりあさんから聞いた気がしてます。 もう、父には何も伝わらないですが・・・
何か、1つづつでもぱせりあさんの気持ちが安らぐ方へと向かっていくことを 願ってます。。。
▼ 投稿者 ぱせりあ さん [ 近畿 ] | 2008年08月19日(火) 22時05分 |
みりさん 心温まるレス有難うございました。<(_ _)>
みりさんの言葉ひとつひとつをうなづきながら拝見しました。 本当に仰る通りなんですね。 ちょっと見透かされている様で怖いくらい。 (^^;)
>病気はどんな病気であっても、心に大きなストレスがかかります。 そんな闘病生活を乗り越えて、よく頑張ってこられましたね。< 本当に告知を受けた時は青天の霹靂、この世の終わりだと感じました。 でもお陰様で沢山の良い仲間に巡り会い治療も功を奏してここまでこれました。 もちろん主人にも感謝しています。 でもその反面時間の経過と共に危機感がなくなり 労わりや思いやりに欠ける言動が目立つ 彼に対する不満や不信感が募っているのも事実です。
>それから私も長男の妻なので、お盆の帰省の件などは身につまされます。< 本当にこればかりはどうしようもない事なのですが・・・ その家風によっても違うのでしょうけど 結婚して中に入らないと見えてこない ある意味異色な世界を感じます。
>でも私には、ご主人の気持ちも少しはわかるような気がします。たぶんご主人は、ぱせりあさんも感じているように、言葉足らずな方なのだと思います。男の人はそんなタイプが多いですよね< そうですね、それは私も感じている部分はあります。 それでも気分や体調がすぐれない時にくらいは労わって欲しい気持ちがありま す。それは私の子供染みた甘えかもしれませんが・・
>ぱせりあさんは、おそらくとてもしっかりした方だと思います。なのでご主人は奥さんに任せておけばなんとかなる、奥さんがそんな病気でダメになるわけない、と思っているのではないかと思います。< 驚く程 みりさんの言われる通りなんです! 口数の少ない主人と違い私はよく喋るし言いたい事もズケズケ言う方ですし。 喜怒哀楽がはっきりしている。 それに見た目が元気なんです。(それがいけないのかも?) 病気が分かった当初、患者会に夫婦で参加した時も 主人の方が患者に見られ 私が付き添いに間違えられました。(^^;) 発病して1年経った頃にも 私が死ぬなんて考えてもいなかったと言ってました。 私は不死身かいっ。
>ご主人が理解を示さないと嘆く前に、理解させる努力をしてみたらどうでしょう。< そうですね、私の努力が足りない部分は確かに感じます。 今はまだ頭に血が上っていて冷静になれない自分がいます。 今回は20数年間のいろんな思いが蓄積されて爆発した感じです。 また治療後間もないという不安定な時期でもあるのでもう少し落ち着いた時に もう一度自分を見つめ直し歩み寄れるところは歩み寄る様に頑張ります。 そこで見失った愛情の欠片でも見つけられたら状況は変わるかも知れませんね。 実際、そこまでたどり着くにはまだまだ時間が必要でしょうけど・・
>それにしても、長男の妻…このひびきに見え隠れする重圧、何年たっても慣れることができません。< みりさんもきっと色んな思いをされて来たのでしょうね。 私もしんどい思いをたくさん抱えてきましたが同居でない分楽はさせてもらってます。 この重圧から開放される日はくるのでしょうか? 私は娘のボーイフレンドでも『あの子は長男?』とついつい聞いてしまいます。 『何を考えてるの?』て娘には笑われるのですが・・ すべての長男の嫁がそうでないにしろ 娘達にはこういう思いは出来る事なら させたくないと正直思いますね。
みりさん色々心に響く暖かいアドバイス本当に有難うございました。 お陰様で少し元気になれました。 残暑厳しい折 どうぞ夏バテなどされずにお元気でお過ごし下さいね。(*^_^*)
▼ 投稿者 ぱせりあ さん [ 近畿 ] | 2008年08月19日(火) 23時16分 |
ふくさん こんばんは。(*^_^*)
昨日に引き続きレスを有難うございます。 ふくさんの投稿? 全然失礼なんかじゃないです。 とても素直に心のままを書いて下さってるので嬉しく読ませて頂きました。 ふくさんの書き込みを拝見していると胸が熱くなってしまって・・・ お母様とふくさんがとても良い母娘関係だったというのが見て取れました。 私にも娘がいるだけにオーバーラップしちゃって泣けました。
>私は母の病気がどう進行するか分からないって知ったとき、 1日でも長く・・・と願ってました。 抗がん治療も・・・ 病人に頑張れって言えないですけど、心から願ってました。< 奇しくもお母様が私と同じ病気だっただけに自分の治療の事が蘇って来ます。 抗がん剤は周りに支えられないと乗り切れない辛い治療ですから。
>でも、母はずっと私を気遣ってくれてました。 二人目を帝王切開で出産した後すぐの入院でしたから。< ふくさんも出産後すぐの 精神的にも肉体的にもキツイ時期をよく看病されましたね。 お母様のお気持ちも痛い程 伝わって来ます。
>毎日、生まれたての子を連れて病院へ行きました。 孫の顔は何よりの薬と思って・・・ そんな私を見てても、母の病気を受け入れられない父を なんて情けないと・・・< お母様もきっと娘の為にも孫の為にも頑張ろうと感じられたでしょうね。 孫を見せてあげるのは何よりの親孝行だと思います。 お父様は 何をしたらいいのか途方にくれておられたのかも知れませんね。
>ぱせりあさんの旦那さんは、お見舞いもし、家事もされてたんですよね? そこだけ、全然違います^_^; 一緒だなんて言ってしまってごめんなさい。 例え義務でもして欲しかったから・・・< いえいえ、とんでもないです。 家事といっても食事は私の母親がほとんどしてくれてました。(^^;) でも私より片付けは上手なので 母いわく私が入院中は家の中が綺麗だったそうです。 主人はお見舞いには来てくれましたが 実際は来てもイスに座ってるだけでしたよ。 で・・私もせっかく来てくれてるのに悪いかな?と思ってコーヒー入れたり お菓子を用意したり・・ 入院患者がお見舞い人の世話を焼いてた感じ。(^^;) それでも来てくれる気持ちは嬉しかったですけどね。 そう 何でもいいからお母様の事を考えて行動されてたらお父様に対する思いも 少しは違っていたでしょうね。そこは本当に残念です。 うちの主人もふくさんのお父さんもやはりどこか似た不器用なところがあるのでしょう。
>娘さんたちは、病気のことをどう思っていらっしゃるんでしょうね。 私自身、母の顔を見るたび、いつかはいなくなってしまう恐怖、 その後の生活や父がどうなってしまうのかとか、色々考えてました。 病気のことを理解し、見舞う事で、いろんな覚悟が出来たと思ってます。< 娘達は私の前ではあえて明るく振舞っていました。 病気の事にはほとんど触れませんでしたね。 それでも大事なことですからきちんと私の病気の事は話しました。 私の前では平然を装っていましたが自分の持つブログなんかにはかなりショックを 受けて泣いてしまったと書かれてましたから・・ やはり ふくさんと同じ様に私がいなくなる恐怖を感じていたのでしょう。
>母が感じてたであろう気持ちを、ぱせりあさんから聞いた気がしてます。 もう、父には何も伝わらないですが・・・< 私はこの病気になった時に 『娘じゃなく主人じゃなく両親じゃなく私で良かっ た!』と心底思いました。 こんな辛い思いを誰にも味合わせたくないと感じましたから。 だからお母様もきっとそう感じておられたのではないでしょうか? 一般に一番の親不孝は 親より先に亡くなるって事だといわれます。 私の場合、両親も健在ですので 万が一の場合はその親不孝を不本意ながら実行する事になります。 私の病気が発覚した時に 母親は『丈夫に生んであげれなくてごめんね』と泣きました。 こんな辛い思いを親にさせてる自分がとても悲しかったことを思い出します。 親にとっていつの時代も子供はかけがえのないもの。 自分より先に子供を見送るなんて事は考えられない事。 だからやはり 親はきちんと子供が見送ってあげないといけないと思います。 私も親よりは先には逝けない!!そういう強い思いも踏ん張るパワーになってます。
それを思うと ふくさんは病床でしっかりお孫さんの顔も見せてあげて 産後の身体を押して甲斐甲斐しくお世話もしてあげれてお母様をきちんとお見送りされ 意思を尊重してお墓も別にしてあげて 本当によくお母様に尽くされたと思います。 きっとお母様も感謝してられるでしょう。 そして安心して空の上からふくさんの事をこれからも見守ってくださっているでしょう。 今年はお母様とお父様の初盆でしょうか? 私も心の中でそっと手を合わさせていただきます。(合掌)
私の病気仲間も治療半ばで亡くなった方がおられます。 まだまだお若いこれからの人でしたが・・・ その仲間の分も そしてふくさんのお母様の分までこの病と向き合い しっかり立ち向かっていきたいと思います。
貴重なお話や優しい心遣いに感謝しています。 ふくさんもどうぞ可愛いお子様とご主人とで幸せな家庭を築いていかれて下さいね。 ふくさんの幸せが何よりのお母様の供養になると思います。 私も少し冷静になりもう一度自分を見つめなおしたいと思います。
>何か、1つづつでもぱせりあさんの気持ちが安らぐ方へと向かっていくことを 願ってます。。。< ふくさんどうも有難う!! ふくさんも産後少し無理をされていますから くれぐれもお身体大切になさって下さいね。素敵なママさんになって下さい。
またまたとりとめもない事を書いてしまいましたがお許しください。 色々愚痴を聞いて下さり有難うございます。 お陰様でとても気持ちが軽くなりました。(^O^)/
|